移住2年目までの子供の英語力エピソード

初めに

記事 「子供に英語力をつける方法=英語圏への移住」の理由 で、「子どもに英語力をつける方法=英語圏への移住」と書きましたが、お子さんが大きければ大きいほど、異国になじむのは大変です。

我が家の場合は第一子の太郎が5歳で、日本の保育園の年長クラスに入ってすぐの5月に移住しましたが、太郎の性格もあると思いますが、フィリピン・セブ島の幼稚園と小学校では一切、口を開かない状態が1年半ほど続きました。

我が家が選んだフィリピン・セブ島の幼稚園は、6月中旬~3月中旬が一年度です(学期の区切りは変わりつつあります)。実質9カ月間で、それ以外は長い夏休み。子どもに日本語も習得させたい点から考えれば、夏休みは日本に連れ帰って日本語のシャワーを浴びせるのにちょうどよいスケジュールです。

幼稚園の全生徒は約80人で、見たところ、日本人以外のアジア人約60人、西洋人約10人、日本人は約10人(そのうち我が子3人)でした。国籍や人種がはっきりしないのは、見た目や名前だけで判断できませんし、ダブルの子(国際結婚から生まれたお子さん)も多いからで、とにかく多様な国のお子さんが集まっていました。

移住初期2014年の子供たちの英語力エピソードや暮らしを紹介します。

第一子・太郎5歳、第二子・次郎3歳、第三子・花子1歳。
全て仮名です。

移住ひと月後[入園初日]

移住してひと月後の6月某日、待ちに待った幼稚園がスタートした。朝8時に子どもたち3人は制服を着て出発。太郎と次郎は午後もあるので弁当持参だ。子どもたちは制服のサイズをあわせるために、夏休み中に一度この幼稚園を訪れたことはあるが、他のお子さん、しかも外国人のお子さんであふれる園内は初めてだ。何かショックを受けるかと心配したが、一か月間のセブ暮らしで慣れたのか、何の抵抗もない様子。入園式のセレモニーなどは特になく、子どもたちはあっさりそれぞれの教室に入っていった。

太郎のクラスは日本でいうところの年中組だ。日本では年長に所属していたが、英語力がないので一学年落としたほうがいいと言われ、年中になった。一クラスは全8人(×2クラス)。ほとんどのお子さんが昨年からのもちあがりで、英語ができないのは太郎だけだ。日本人のお子さんが他に1人いるが、英語を完全に理解しクラスメイトと楽しそうに話している。その子のお母さんに聞くと、まだ日本を離れて一年というので驚いた。その子は半年で、幼稚園で過ごす分には全く支障ないほど英語を使えるようになったそうだ。

次郎も、日本では年少組だったが、一年落として年少未満(約2.5歳児)クラスに入った。子どもは全14人で、日本人のお子さんは次郎以外に2人いる。担任は2人だ。

花子だけが年相応のクラス「よちよち歩き」に入った。日本人のお子さんはいない。日本では生後半年で保育園児となり園を嫌がったことはなかったが、セブに来てひと月間ずっと家族と過ごしたことで親から離れられなくなっていて、なかなかクラスに入らない。でも時間が解決するだろう。午前中2時間だけだ。

太郎と次郎を夕方、迎えに行くと、二人とも満面の笑顔で「楽しかった~」と飛びついてきた。英語が分からなくて大丈夫だったか聞くと、「先生がイラストを指して次にすることを教えてくれるから分かる」とのこと。この幼稚園には全世界の子が集まっているため、先生は英語が通じない子どもの対応に慣れているのだ。太郎は「静かだから好き」ともいい、少人数でアットホームな雰囲気が気に入ったようだった。

移住ひと月後②[ただ眠かっただけ?]

入園して6日目の朝、太郎が初めて「幼稚園に行きたくない」と言った。今日は年中クラスの社会見学。みんなでミニバスに乗って出かけるのだった。大人だって、一人だけ言葉が分からないバスツアーなんてイヤだと共感できるだけに、休ませようかと迷う。でも意外にも、弟たちを見送るだけと言って車に乗り幼稚園までついてきた。ただ、担任のティーナ先生に誘われてもクラスに入る気配はない。

ところが私が「幼稚園に通うのが大変なら日本に帰る?そうしたらもうビーチはないけどね」と言うと、「僕やっぱり今日、参加する」と、念のため持って行った制服に着替えてさっさとクラスに入っていった。気持ちの切りかえは見事だった。

夕方迎えに行くと、本人なりに楽しめた様子。「朝は眠たいから行きたくなかった」と照れ笑い。本音か分からないが、明日からは通えるとの言葉にホッとした。

移住2か月後[ダメっぷりに茫然(ぼうぜん)]

昼前に花子を迎えに行ったら、幼稚園の広めの廊下にバスケットゴールが置かれ、太郎の学年の子どもたちが集まって先生の前に座っていた。思いがけず太郎の普段の様子を見られることになり、私は花子を抱えたまま見学した。太郎はちらりとこちらを見て気づいたが、先生の話をきちんと聞いている。

フィリピンではバスケが盛んだ。あちこちの空き地にゴールが置かれ、若者たちがプレーしている。先生が「みんな、バスケは好き?」「お父さんとプレーしたことはある?」などと聞くたびに、クラスメイトは「イエース」と元気よく手を挙げる。一方、太郎は周囲に合わせるということはなく、微動だにせず先生を見続けている。先生は、簡単にルールを説明した。

先生「じゃあみんな、準備はいい?」
クラスメイト「うん、いいよ!」
先生「では、バスケをやってみよう!」

これで場は一気に盛り上がったが、太郎だけは周りの子が立ち上がったのを見て、腰を上げた感じだった。

いよいよバスケが始まった。先生が4人を指名して2対2に分け、笛を鳴らしてスタート。幼稚園児ならではのルールでドリブルはしなくてよく、単にボールを奪い合ってシュートするだけ。ゴールも、子どもたちの背よりちょっと高いくらいだ。ボールの扱いが上手な子もそうではない子もいるが、どの子も楽しそうにプレーしており、クラスメイトも、ワーワー、キャーキャーと声を上げて観戦している。

次に指名された4人、その後の4人などと続き、最後に太郎を含む4人が指名された。太郎が最後のチームになったのは、授業を目で見て理解するための時間を少しでも確保しようという先生の配慮に違いなかった。ゲームが始まってすぐ、太郎の足もとにボールが転がってきた。チャンス!太郎はそれをすぐに拾い上げた。私は「太郎、シュートー」と声援を送った。

ところがなんと、太郎は拾い上げたボールを審判である先生に手渡しに行ったのだ。さすがの先生も不意をつかれた表情だ。慌てて「タロウ!プレー!(バスケをしなさい)」とジェスチャー交えて言ってくれたが、太郎はボールを持ったまま、先生の顔を見上げている。すぐに他の子が太郎からボールを奪い取り、バスケは続いた。太郎は2~3分のゲーム時間ずっと、何が何だか分からないという感じでコート内に立っていた。私は「太郎、ボールを取って、ゴールに投げなさ~い」と日本語で何度も声をかけたが、太郎は足が動かないようだった。

太郎たちの対戦が終わり、授業は終了となった。先生の後ろに並んで全員がクラスに戻っていく。どの子もバスケの興奮がまだ抜けきれず、投げるジェスチャーをしたり、大きな声で笑いあったりし、中にはうるさすぎて先生に注意される子もいた。でも私には、その子たちがむしろ羨ましく、先生の後ろにきちんと並び、静かに教室に戻っていく太郎が憐れ(あわれ)に見えた。クラスメイトはまだ4、5歳児で、できない子をからかう雰囲気はないのが、不幸中の幸いだった。

――太郎はまだ小さいから、恥ずかしくも辛くもないみたいだし大丈夫。私が留学した時は20歳で、英語ネイティブスピーカーのクラスメイトの前で死ぬほど恥ずかしい思いを何度もした。見ているほうがいたたまれないぐらいの悲惨さだったわ。うちは、いま英語圏に来て正解よ。

――いや、太郎本人が希望して来たわけではないわ。友達としゃべったり、遊んだり、みんなで一緒の集団行動を楽しめる時期なのに、私はそれを取り上げてしまったのだ。どうして太郎は毎日、幼稚園に嫌がらずに行けるのだろう。あぁ、先生や友達の話すことが理解できるくらいに、英語力を瞬時にアップしてやれたらなぁ。

私は花子を抱えているのも忘れ、誰もいなくなった廊下にずっとたたずんでいた。

移住2か月後②[日本人のお友達と]

入園してひと月もたつ頃には、私は幼稚園の送り迎えで顔を合わせる日本人のお母さん4人全員とあいさつを交わせるようになっていた。同じ日本人というだけで打ち解けられるのは海外にいる良さだ。みな、この幼稚園やセブのことをよくご存じなので、私の日々積み重なる驚きや疑問に快く答えてくださるのがありがたい。つい毎日、誰かと立ち話をしている。

一方、うちの子どもたちは、日本の保育園を辞めた2か月前から日本語でお友達と話していない。外国人のお友達もまだできないので、友達と遊ぶこと自体がない。幼稚園で出会う日本人のお子さんは、みな外国人の子と英語で遊んでいるので、特に太郎は輪に入りづらいようだった。

そこで休みの日に、幼稚園の日本人の親ごさんとお子さんを我が家にお誘いしてみた。日本にいた時は、自宅に友達を呼んだことはない。家は狭いし、散らかったまま。子どもたちの面倒を見ながらもてなす準備をするのは、私には不可能だった。でもメイドさんがいる今なら、心配不要だ。

当日、3家族がいらしてくださり、我が子を合わせると総勢9人の子どもたちとなった。太郎、次郎、花子の大興奮は、見ていておかしいくらいだった。ところが喜びが大きすぎて、無意味に家の中を端から端まで走り始めた。いらしたお子さんにも興奮が移り、みんなが歓声をあげながら太郎たちについて走りまわり、家の中は大混乱。おしゃべりで盛り上がり始めていた私たち親は、「家の中を走ったら危ない、危ない」と大慌てで、予告していたプラスチックプールに水を張り、水着に着替えた子どもたちを収めた。

いつもは英語で、外国人のお友達と楽しそうに話しているお子さんたちが、今日は上手にたくさん日本語でおしゃべりしていた。太郎、次郎ともすぐ意気投合し、お互い楽しそうで、見ている私も嬉しくなる。普段は親にべったりの花子でさえ、子どもたちの輪から抜けてこようとしない。

お会いしたことのなかった小学生のお兄ちゃん二人が、小さな子どもたちと上手に遊んでくれたのも良かった。太郎も次郎も、日本では小学生と仲良くなる機会はなかった。尊敬の念がこもった声で「◎◎くん」と呼び、後ろをついて歩くさまがいじらしい。

その後も日本人のご家族に遊びに来ていただくようにしている。年齢を超えて楽しめるカードゲーム「UNO」などをしながら、親も子も日本語のおしゃべりを満喫している。

移住3か月後[ステージの上で、親子で号泣]

一学期終了を控えた8月、学年ごとに成果報告会が行われることになった。太郎のクラスは教室の半分をステージに見立て、保護者に発表するという。彼らは「コミュニティと自分」というテーマで取組みを続けていた。太郎は、将来なりたい職業として警察官の格好をしてステージに上がるというので、インターネットからフィリピン警察のワッペン柄をダウンロードし、用意した青っぽい上下の服に貼り付けてやると大喜びしていた。

ところが当日朝になって「行きたくない」と泣き出した。ステージで一人ずつ、自分の名前と将来なりたいものを英語で発表するのが嫌だという。でも今回も、とりあえず幼稚園に来ることまではできた。

担任のティーナ先生に太郎の様子を伝えると、「タロウ!あなたはできていたから大丈夫だよ」と言ってくれた。先生によれば、練習では「マイネーム イズ タロウ モリタ。アイ ワナ ビー ア ポリスマン」ときちんと言えているという。が、太郎は家に帰りたがった。結局、写真撮影に参加したり、太郎たちが作った成果物を一緒にながめたりするうちに、開始時間となった。

音楽が流れ、子どもたちがステージに並び始めた。すると太郎は、私の手を離さないままステージに上がっていった。え~。小さな子どもたちの中で巨大な私だけが交ざり、保護者の皆さんと対面する形になった。恥ずかしいが、気にしていられない。太郎はきちんとやり遂げられるのだろうか?

歌や踊りの間も、私は太郎と手をつないだまま、ステージの上でしゃがんで待たざるを得なかった。太郎は「ぼく帰りたい。ぼく帰りたい」と日本語でつぶやいているが、なぜかステージから降りようとしない。そしていよいよ、子どもたちが一人ずつマイクの前に立って発表する時間になった。小さな子どもたちの話す英語はかわいらしく、本来なら私は観客席で楽しめたはずなのだが。

ついに太郎の番だ!太郎は、ここでも私の手を離さず、前に進み出てマイクに向かった。

ところが、太郎の口から出た言葉は英語ではなく日本語だった。「話したくな~い。ウェーン(泣)」…以上。ひょえ~。でも、客席の保護者の皆さんは、それまでの太郎の様子で展開を察していたようで、太郎の日本語の意味は分からなかったはずだが、「オーケー、オーケー」「グッジョブ(よくやったよ)」と言って、他の子に対するのと同様、大きな拍手をしてくれた。

保護者のみなさんの温かい拍手が私には思いがけず、緊張が解けたタイミングとも重なって、まだステージの上なのに不覚にも私まで涙が止まらなくなった。小さな太郎が、結局はできなかったけれど、とりあえずこの時間を乗り越えられたこと、がんばったことに感動した。それに、こんな失態は異言語の苦労をしたことがないほとんどの保護者に理解されないと思っていたが、そんなことはなかった。誰だって、子どもには個性と得手不得手があることを、子育てを通して身をもって分かっている。うまくできなくて悲しんでいる子を見たら、励ましてくれるものなのだ。みなさんが太郎に盛大な拍手と声援を送ってくれたことが、私にはとてもありがたかった。

話はそれるが、私は小学一~二年生時は不登校児だった。大阪の幼稚園に通っていた私は、その後、親の転勤で札幌に移り、小学校に入学したが学校になじめなかった。大人になってから気づいたが、関西弁を当時話していた私は、言葉の違和感も感じていたのだろう。毎朝「学校に行かなくちゃ」「でも行けない」のはざまで、消えて無くなりたいくらい辛かったことを30年以上たった今でもはっきり覚えている。母はありがたいことに私に無理強いはせず、公園に連れ出して気分転換させてくれた。あの頃、私は自分だけが学校に通えていないこと、それではダメなことを誰に言われなくてもよく分かっていて、自分で自分を責めていた。そんな私に必要だったのは、学校に行っていないことを忘れられる楽しい時間と、こんな私の存在を肯定してくれる温かい家族だった(その後、父が他区に自宅を購入したのを機に転校し、友達が大勢できて、私は学校が大好きになった)。

今、言語の違う幼稚園に通う我が子の困難は、訛り(なまり)うんぬんで悩んだ私の比ではないはずだ。周囲の言っていることすら理解できないのだから!それなのに毎朝、幼稚園に通うのを嫌がらない。言葉が分からないなりに楽しめている様子も見られる。それだけでも「あんたは、えらい」と私は心から思える。異国の幼稚園にたたずんでいるだけで、我が子は今まで知らなかったことを見て、聞いて、感じて学んでいる。多様なことを「経験」として内に蓄えていることは明らかだ。今後、我が子がもし幼稚園に行きたがらなくても絶対に無理はさせず、ゆっくり伴走してやろうと私は誓った。

ちなみに次郎と花子の成果発表会は、保護者と一緒に絵を描くことが中心で、難なく終了した。

移住3か月後②[評価表と面談]

一学期の終了翌日から二学期が始まる。日本なら必ず、学期の合間に冬休みなど長期休暇がある。でもセブの我が子の幼稚園では、連続休暇は10月末のハローウィンをはさんだ約10日間と、クリスマスと年末を含む約20日間、そして3月から約3カ月間の年三回で、3月の休み以外は学期の切れ目と関係しない。

そのため学期の節目など感じていなかった8月末のある日、子どもを迎えに行ったら、我が子三人の各担任から一学期の評価表が手渡された。そこには、社会性、実用性、身体性、認知発達性の四項目に、例とする具体的基準が細かく書かれており、それらが全て「優れている点」から「手引きが必要な点(特別に心がける必要がある)」まで4段階で評価されている。例えば太郎の場合、「テーブルセッティングや、スナックを食べるためにお菓子やジュースの準備をすること」「自分でトイレに行くこと」などは優れていると評価されているが、「リーダーシップ的な役割を引き受けること」「適切な言葉使いを理解すること」などは、予想通り「手引きが必要」、はっきり言えば最低評価だ。どれも、さもありなんで納得できる。

興味をひかれたのは、担任の先生が書いてくださった長いコメントだ。例えば次郎に対しては次のように書かれている。「――彼はクラスのルールや先生の指示を理解して守ります。もし、片付けや、クラス内で走り回らないといったルールに従わない園児がいたら、先生に伝えます」。驚いた。次郎は、日本の保育園の先生にも同じことを指摘されていた。つまり、次郎は言いつけを守らないお友達がいると、先生に告げ口しに行くのだ。「こりゃ、友達に嫌われるわ」と夫婦で笑っていたのだが、まさか外国の幼稚園でも同じふるまいをしているとは!「――英単語を使って自分の考えを一生懸命伝えようとし、単語が分からない時は、物を指し示したり、身振りによって教えてくれます」。これも、物怖じせず妥協しない次郎らしい一面だ。結局のところ、環境が変わっても子どもの特性は変わらないらしい。

数日後、評価表を見ながら先生と保護者が話し合う二者面談が、各子どもにつき20分ずつ設けられた。花子の担任からは「花子がもっと英語を覚えられるように、自宅で英語の本の読み聞かせをしてはどうか」と言われた。私は、日本語も学ばせたいので自宅では日本語の本しか読んでいないと伝えると、「なるほど。了解です」と快く納得してくれた。そこで何の気なしに、花子のクラスで、自宅では英語を話していないお子さんがどのくらいいるか聞いてみた。花子のクラスはフィリピン人や中国人、ヨーロッパ人など全12人だ。先生の回答を聞いて驚いた。自宅で英語を話していないのは、花子だけだというのだ。実際、花子の送迎時にクラスメイトの親ごさんに聞いてみると、その通りだった。

フランス人の母親「スイス人の夫も私も、子どもには英語で話しかけているわ。理由はもちろん、英語を早くマスターさせたいから。フランス語を子どもが全く知らないのは残念だけど、あきらめている」。

フィリピン人の母親「夫婦ともフィリピン人で、自分たちはローカル言語で育ったけれど、いま家庭では英語だけを話しているわ。子どもの教育のためにそうしようと夫婦で決めたの。子どもを私立に入れたのも、外国人の友達をつくり、お友達との普段の会話も英語にさせたいからよ」。

子どもの英語力を重視する母親が外国にもいた。彼女たちが「子どもの言語」について真剣に考え、健闘している様に親近感を覚えた。

移住4か月後[太郎の日々]

毎朝幼稚園に着くと、太郎は自分でスタスタと教室に入っていく。そこで別れてもいいのだが、私は続いて必ず教室に入り、先生やお友達に「グッドモーニング」を言い、太郎にも「バーイ」か「スィーユー(またね)」と言って目を合わせてから離れている。先生やお友達に太郎の母親として身近に感じてもらいたいし、太郎やクラスの雰囲気を常につかんでおきたいからだ。

ある日、別れてから、あ、先生に聞いておくべきことがあったと思いだし、私は教室に引き返した。でも太郎が寂しそうにしているのではないか、それをいきなり見てしまったら太郎に悪いのではないかと感じ、まずドアのガラス越しに中をうかがった。案の定、太郎は一人、パソコンに向かって画面を見ていた(この幼稚園には各クラスにパソコンが置いてあり、子どもたちも触っていいことになっている)。他のお友達は、先生や他の子とおしゃべりしながら何か手も動かしていて楽しそうだ。一人で積み木に取り組んでいる子もいるが、目はイキイキとして熱中しているのが分かる。太郎はなんとなく、所在無げだった。

でも太郎は幼稚園を「楽しい」という。また、何かの話の折に、クラスメイトとの楽しげなエピソードを特に喜ぶ風でもなく話すこともある。「僕の弁当に添えてあったチョコレートスナックを、3人のお友達が羨ましがったから、みんなに分けてあげたんだ」などだ。

自宅では、太郎は日本語で書かれた本を読みまくっている。彼は日本にいた頃から本が好きで、毎週図書館で大量に借りていた。今はセブに100冊持ってきた本を私が小出しにしているが、太郎は一日に1~2冊読み切るから全然足りず、追加注文を決めたところだ。読んだことのない本をいくらでも図書館で借りられた日本との違いを残念がりつつ、彼は同じ本を飽きずに何度も読み返している。「早くシャワーを浴びなさい」などと声をかけるとしぶしぶ動き出すが、そんな時は本を読みながら歩く「二宮金次郎っぷり」も日本にいた頃と変わらない。

弟とは、じゃれあったり、ボードゲームをしたり、妹にはいつも優しいお兄ちゃんで本を読み聞かせてやる姿も見られ、家ではよく笑う。でも幼稚園の様子は心配だ。日本では保育園に迎えに行くと、お友達とトランプの真っ最中でなかなかやめられないなんてこともあったが、今はお友達との関わりが見られない。

とはいえ、私が太郎の幼稚園生活を楽しくしてやることはできない。太郎の様子をしっかり見守り、常に私からの愛情を伝え、彼を肯定してあげることで支えよう。早く言葉の壁を超え、仲の良いお友達ができてほしい。

移住5か月後[英語と算数]

太郎と次郎は、入園してひと月後から、月~木の毎夕一時間、園内で先生によるマンツーマンのレッスン(家庭教師)を受けている。科目は英語と算数だ。幼児に家庭教師なんて過剰だが、友達とおしゃべりできる日を早めるには、英語しか話さない先生を独占して向き合ってもらうことが必要だった。我が子は、日本で英語を学んだことはない。

スタートして3か月が経ったところで、見学させてもらった。まず英語では、太郎はCVCワード(bigやhatのように子音+母音+子音というパターンで三つの文字からなる単語)を中心に勉強していた。アルファベットの積み木を使いながら、先生の後に続いて読んだり、スペルを並べたり、簡単な質問に答えたりしている。次郎も色を英語で言う練習をし、スペルを学んでいる。次郎はまだ4歳になったばかりなので机について勉強できるか心配だったが、学ぶことが楽しいようで一時間ずっと集中できていた(挿入図)。

子どもたちは二人とも、先生が日本語を全く知らないことをすでに理解していて、英語が分からなかったり、自分の言いたいことがうまく言えなかったりしても日本語をはさまない。そんな点にも私は感心した。初めは、簡単な日本語も通じないメイドさんのことを「僕たちをからかっている」と勘違いしていたぐらいだが、今は自分たちが話す日本語を全く知らない人がいると分かったのだ。

算数では、太郎は足し算、引き算、虫食い状態になっているマスに数字を埋める問題などに取り組み、次郎は20まで数えたり書いたりを練習していた。

英語における算数は、例えば12ならtwelve(トゥエルブ)と読み、かつ、このスペルを書けなくてはならない。大人の私もしょっちゅう小切手にアルファベットで数字を書くのだが、正直苦手だ。例えば86,583ペソを小切手で支払う時は、アラビア数字のほか、「Peso eighty-six thousand five hundred eighty-three only」と書くのだが、難しくていつも自信がない。

英語で数を考えるには、概念の切り替えが必要だ。12は日本語では十二と読むから、「10が一個と2」だと伝わる。でもトゥエルブにはそのような説明は含まれていなくて不親切に感じる。また、12,000は英語では「トゥエルブ サウザンド」となり、「12個の千」と理解する。日本人の我々は「1万が1個と千が2個」と理解するのと大きく異なる。アラビア数字で12,000と下から三つ目にコンマを入れて書くから、なるほど「12個の千」も理にかなっているのかもしれないが、1万2千の表現が染みついている日本人には、特に口頭で言われても数字の大きさが全くイメージできない。

120,000とさらに一ケタ増えると、英語では「one hundred twenty thousand」だ。でも百(hundred)と言った後に千(thousand)と言われるだけでさっぱり分からなくなり、イラっとしてしまうのは私だけだろうか?(苦笑)。

英語で数字を学ぶ我が子は、日本語で数字を読めなくなるかもしれない。

移住5か月後②[太郎の昇級]

ハロウィンは10月31日だが、幼稚園では10日間の休暇に入る前日、10月24日にハロウィンパーティーが行われた。子どもたちも先生も仮装していて、幼稚園全体がお祭りムードだ。そんな中、私は幼稚園の教頭と会議室で向かいあっていた。実は数日前に、太郎を年長クラスに昇級させてほしいと要望していて、その結果をうかがえることになっていたのだ。

入園初日の項で書いたが、太郎は年齢より一学年下のクラスに所属していた。いまだに幼稚園では無言で、せいぜい首を縦か横に振って意思を示している。そんな状態なのにおこがましいが、私は太郎を年相応の年長クラスに昇級させたいと考えるようになっていた。というのも、いずれは周囲と比べて英語力は遜色なくなるはずなのに、小学校に入学するのが一年遅れたら、年相応の学年に入れる日は来ないからだ。

教頭は太郎について、
・英語は話さないが理解し始めており、ペーパーテストの正解率は良い
・算数は非常に良くできている
・精神的にも成熟している
と評価し、11月から年長クラスにあがることを認めてくれた。

これを太郎は喜んだ。太郎は日本にいた時から、園のお昼寝の時間だけは嫌いだった。そのため、来年もお昼寝が必須の幼稚園に残ることにショックを受けていたのだ。今、年長に上がれば、入試(卒園テスト)の壁はあるが、あと半年で卒園して小学校に入れるかもしれない。

移住6か月後[異を受け入れる子どもたち]

太郎は、10日間の休暇が明けた11月から年長クラスに移った。学期の節目ではないため、昇級した一週間後に、年長クラスの2学期の成果を披露する学習発表会に参加しなくてはならなかった。

セブ郊外の山の中腹にある自然豊かな公園が会場となった。保護者の前で子どもたち一人ひとりが、自己紹介と学習成果を一言ずつ発表し、その後みんなでダンスを披露するプログラムだ。

だが太郎はまた、ほとんどできなかった。自己紹介は聞こえなかったし、学習成果は答えられないので、太郎のパートだけは先生が代わりに話した。ダンスは、一生懸命周りを見てあわせようとしていたが、一人だけ全く踊れていないのは明らかだった。

それでも発表会の会場に嫌がらずに行き、私の手をひかずにステージに立てたのだから、以前より良いかもしれない。上手くできなかったのは、新しいクラスに入ってすぐだからしょうがない。しかし、そう頭で分かっていても「いつまでこんな悲しい発表会を経験しなくてはならないのか」と私の気持ちは沈んだ。保護者たちが持ち寄ったスパゲッティーやドーナツを無邪気に食す太郎の様子が救いだった。

ところで、この年長クラスには軽い自閉症のフィリピン人の男の子がいて、常に専属の先生(シャドーティチャー)が見守っている。私はその子と先生を何度か目にしたはずだが、二人の関係にも、その子の障がいにもしばらく気づかなかった。発表会のステージでもきちんと名前を言えているし、誰もその子を特別扱いせず一緒に学び、遊んでいる。

このクラスの子13人はみな、肌・目・髪の色も、体格も、母語も文化も生まれ育った国も、その他の面でもバラバラだ。大人だと身構えてしまうようなそんな相違を、この子たちは全くそうとは受け止めず、友達を純粋な目で見つめ、心を開いて積極的に関わろうとする。

年長ともなると友達の様子も目に入り、お世話したい、関わりたいと思うようで、太郎に対しても朝は必ず「ハーイ、タロウ」と声をかけてくる。太郎は失礼なことに聞こえないふりをして私を慌てさせるのだが、最近ようやく、相手に両手のひらを向けてハイタッチで応じるようになった。でも断固として口は開かず、相手の子の名前すら発しない頑(かたく)なぶりだ。そんな奇妙な太郎に、翌朝また「ハーイ、タロウ」と声をかけてくれる気のいいクラスメイトばかりなのが有り難い。

私は、言葉を発するまで長い期間黙り続ける外国在住の日本人のお子さんの例を文献で読み知っているので、太郎の英語を心配してはいない。いつか必ず話し出すからだ。むしろ、なかなか英語が話せず苦労しているこの時期のことを、そして皆さんから受けている数々の好意を、太郎がどう受け止め、成長に生かしていくかが楽しみだ。太郎には、場になじめず寂しい思いをしている子がいたら、気づいてそっと配慮してあげられるように育ってほしい。いや、きっと育つだろう。太郎には、その子の気持ちが切ないほど分かるはずだから。

親は過分に、我が子がみなさんに迷惑をかけていないかなどと心配する必要は全くない。子どもは、たくさんのことを子ども同士から学ぶ。大人は先回りし、効率を優先しがちだが、それでは子どものかけがえのない学びの機会を奪うのではないだろうか。

移住9か月後[太郎のテスト]

年長クラスに入っても、特に太郎の英語と、友達との関わり方に進展は見られなかった。そして年も替わって2月に入り、いよいよ年長クラスの生徒が卒園テストを受ける日となった。テストで合格点を取らないと正式な卒園証書はもらえず、補習を受けることになる厳しいものだ。しかも、隣接する小学校(姉妹校)に入学を希望している太郎にとっては、入試にもあたるテストだった。

算数、英語、理科の三つのテストが三日間にわたって実施される。太郎は相変わらず自宅では勉強しないし、親としても無理に勉強させることもないまま、あっという間にテスト期間を迎えた。

算数のテストの日、太郎を迎えに行ったら担任のマーベル先生が話しかけてくださった。太郎はクラスで二番目に早く終えて、提出したという。そこで先生が「タロウ、算数はどうだった?」と聞くと、「イージー(簡単さ)」と答えたそうだ。不遜な言葉に聞こえて私は恐縮したが、先生はレースのように早く終わらせようとするのは生徒全体の傾向だと苦笑していた。先生と私は「何とか得意な算数で、英語と理科をカバーできればいいのだが」と話して別れた。

テスト期間が終了した翌週、先生に呼ばれた。太郎を含むクラス全員が合格できたという。良かった!先生は太郎の答案用紙を前に一つ一つ、太郎が間違えた個所を説明してくれた。

驚いたことに、英語はほぼ満点だった。「ピーターはペットとして鳥を飼っている。ペットはかごに入っている」「水の中にいる動物」などの英文を読んでそれを絵で描き示すことも、バスの中に子どもがたくさんいるイラストと虫食い状態になっている英文を見て、前置詞を「in, out, beside」から選ぶこともできていた。間違えたのは、「あなたの年齢を四角のマスの下に書きなさい」という明らかなひっかけ問題だけで、太郎はマスの中に大きく6と書いていた。これなら大人でも間違えただろう。0.5点のマイナスだった。理科も数か所の間違えで済んだ。

一方、算数は悲惨だった。+と-を見間違えるようなポカミスが何か所もあり、危うく算数が足を引っ張って、太郎は不合格になるところだった。レースからは降りて、見直しの大切さを認識するいいクスリになるだろう。

「英語のおかげで合格する」という予想外の結末に、先生と私は笑った。ただ、よく考えれば不思議ではないのかもしれない。クラスメイトのほとんどは、幼稚園の生活に不便を感じることがないので家庭教師を受けていない。太郎は家庭教師の時間にプリントにも取り組んでいるので、テストは得意なのかもしれなかった。

蛇足だが、太郎のテスト期間中、花子のクラスで「雪国の生活」について私がスピーチした話題に触れておきたい。花子たちは季節や天気に応じた暮らし方を学んでいて、私は雪を知っている保護者として担任に依頼されたのだった。「英語のスピーチなんて無理」と思わず首を横に振ったが、たかだか我が子を含む2歳児8人の前で話すだけ。保護者の見学は無い。初スピーチにこれ以上恵まれた条件はあるだろうか?(苦笑)。
我が子3人が、それぞれの状況で英語にがんばっているのを目の当たりにしているので、私が英語から逃げるわけにはいかなかった。この頃には私の英語力は向上し、幼稚園の先生と立ち話する分には支障はなかった。

当日の出来は良かったと思う。雪の暮らしに必要な服装や遊び方を説明するため、パソコンのモニターに札幌で生活していた頃の花子たちの写真をたくさん映したので、子どもたちは「ハナコ!」と指差しながら集中して見てくれた。「さっぽろ雪まつり」について、大雪像は高さが15メートルもあり、4階建てビルと同じ高さだと話すと、先生は歓声をあげてくれた。キャラクターを模した雪像写真の数々に、子どもたちも喜んでいた。準備と練習に力を入れた甲斐があった。

でもショックだったのは、スターウォーズの雪像写真を見たお子さんが「The wallpaper on mum’s PC is a picture of Star Wars.(ママのパソコンの壁紙は、スターウォーズの写真だよ)」と言ったことだ。「Oh, is that so?(へー、そうなの)」と相づちを打ちつつ、内心では「2歳でそれを英語で言えるのね!」と私は舌を巻いていた。日本でいくら英語を「勉強」しても、この子たちに追いつけるはずがないではないか。

移住10か月後[太郎の学習発表会、そして卒園]

長い夏休みに入る直前の3月上旬、太郎の学習発表会が開かれた。今学期に学んだ「太陽系」について、一人ひとりが発表するものだった。担任のマーベル先生に当てられた子が、保護者らが見つめるステージに立ち、与えられた質問に、そらで説明していく。どの順にどんな質問で当てられるかはすでに決まっているようだが、それでも太郎がこなせるとは思えず、クラスメイトが順に発表していく様子を見ながら私の心臓はバクバクしていた。女の子が、緊張のあまり声が小さくなってやり直しさせられたり、男の子が「僕、何を言うか忘れちゃったよ」とステージ上でへそを曲げ、5分ほど口をきかなくなったりして、英語力に問題がない子にも難しすぎる設定にみえた。過去二回の発表会のみじめな太郎の姿が脳裏をよぎった。

とうとう太郎の名前が呼ばれ、私の心臓は止まりそうになった。ステージの真ん中に一人で出てきて、保護者たちと対峙する太郎。マーベル先生の「タロウ、木星について説明しなさい」という指示にうなずくと、空(くう)の一点を見つめながら緊張した面持ちで、でもはっきりと大きな声で話し出した。
「Jupitar is the biggest planet in the solar system. Many planets can fit into it.(木星は太陽系の中で最も大きな惑星です。多くの惑星が木星に吸い込まれます)」

太郎が人前で、英語で発言できた!拍手を浴びながら、太郎はステージ端のクラスメイトの列に戻っていく。私は驚きのあまり、目を見開いたまま太郎を見つめ続けていた。それに気づいた太郎がふきだし、自分の出番が終わって余裕ができたこともあってか、いい笑顔を返している。太郎は確実に成長していた。こんな大変な発表があるのを事前に家族に気取(けど)られずにこなしたことも、成長の証(あかし)に思えた。

その数日後、近隣の大学の講堂を借り切って、卒園式が行われた。卒園生は白いトーガ(マントと帽子)をつけている。呼ばれて一人ずつステージに上がると、男の子は紳士のように片足を後ろに下げて、女の子は淑女のようにスカートを両手でつまみもって、客席に向かって頭を下げた。いったんステージから降りて、今度は卒園証書授与。校長から一人ずつ受け取る時には、なんと両親も一緒にステージに上がり拍手を浴びる設定だ。それを知らなかった夫と私は、人前に出る準備ができていなかったので慌てた。次郎と花子を含む在園生による踊りが披露された後は、本日の主役である卒園生の出し物。男の子はネクタイ姿、女の子は華やかなドレスに着替え、男女ペアのダンスを披露したり、各卒園生のプライベートや赤ちゃんの頃の写真がスライドで映しだされたり、卒園生一人ひとりがマイクを持って、両親に感謝の言葉を述べるサプライズがあったりで、楽しく感動的だった。私はステージ上の太郎が誇らしく、一時も目を離せなかった。(挿入図)

でもはっきり言って、太郎はこの一年度目は友達とコミュニケーションがままならずに終わった。クラスメイトに英語で話しかけられると、太郎の表情はこわばってしまう。友達みんなが楽しそうにおしゃべりしている輪を、常に一歩後ろから寂しそうに見ている。卒園式の会場に向かう時まで「どうしたら僕にも友達ができるのかな」とつぶやいていて、かわいそうだった。

就学前だから、外国の幼稚園でもすぐに楽しく過ごせると私は思っていたが、太郎に関してはそうはいかなかった。花子はクラスになじんでいる。年相応の年少クラスに昇級した次郎も、クラスが楽しくてしょうがない。次郎の話す英語は語順がメチャクチャだが、この年で家庭教師をつけるクラスメイトはいないからか、「お勉強ができる」と先生によく褒められる。次郎と同じ年齢の日本のお子さんが、うちより後に続けて転入してきたのもラッキーだった。

一方、太郎の場合、クラスで一番話さない子の位置は最初から最後まで変わらなかった。日本語と比べ物にならないほど語彙も表現力も乏しい英語を、太郎は口にしたくないようだ。太郎の年齢になると、友達と言葉でコミュニケーションをとりながら遊んだり、クラスの取り組みとしてディスカッションしながらプロジェクトを進めたりすることが求められるので、ハードルは高い。

太郎に関する嬉しい驚きとしては、セブに居ながら日本語の本を読み続けて、語彙を増やしていることだろうか。「花子、そんなにかわいくしたら、みんなが見とれるんじゃない?」「次郎、少し頭を冷やしたほうがいいよ」など、日本にいた時には使わなかった表現も口にしている。

太郎のセブ二年度目、小学校の生活にはどんな成長や困難がみられるのだろう。全く予想がつかないが、太郎にとって楽しい年になることを心から願うばかりだ。

移住11か月後~1年1か月後[日本の小学校に通う太郎]

卒園式翌日の飛行機で、私たちは札幌に帰った。3カ月間の長期休みは実家に再び居候し、そこから太郎は近所の小学校に通うことになっていた。この学校は一学年の生徒が30人弱しかいないので、市の学校統廃合計画の俎上に上がっている。

この学校は、実は私の母校でもある。私が通っていた頃は、我が家を含めて新築ラッシュで、子どもたちがどんどん転入してきた。市は近隣に小学校を二つ新設し、それでも増え続ける子どもの数に追いつかないので、この母校にもプレハブの教室を増築した。しかしその後は少子化で、プレハブを壊しても教室が余り、現在、母校のワンフロアは「地区センター」となっている。

日本の小学校を太郎は楽しんだ。入学式から出席したので、「セブから来た」と目立つこともなかった。クラスのお友達とあっという間に仲良くなり、男の子とも女の子ともよくしゃべり、遊んでいた。学校図書館の本を毎日数冊借りていく姿は目立ち、「クラスで一番、本を読む子」と先生に褒められた。5月末の運動会にも参加し、短い期間だったが、とてもいい思い出になった。

友達と別れる辛さで、セブに戻る前の晩、太郎は泣き出した。「セブに行きたくない」と言われるのを私は恐れたが、太郎はセブの小学校に入るのも楽しみだと言った。「また来年3月に日本のお友達に会いに戻ってこようね」と話すと、落ち着きを取り戻した。

1年2か月後[太郎がセブの小学校に入学]

セブに戻り、太郎は通っていた幼稚園と隣接する小学校に入学した。太郎のクラスに、また日本人はいない。クラスメイトは幼稚園時代とほぼ同じ顔ぶれで17人だ。

教科は英語、算数、理科、社会、コンピューター、フィリピン語の6科目。セブでは毎日、生徒は全科目の教科書とノートをキャスター付きの大きなカバンに入れてガラガラ引っ張って運ぶ。昨年のこの時期、ショッピングモールでこの種のカバンがたくさん売られているのを見て、「子どもの旅行用スーツケースがずいぶんある」と私は勘違いしたが、これがセブのランドセルなのだ。時間割は月~木曜までほぼ同じで、毎日全教科を学ぶので、日本より持ち運ぶ量が多いのだった(金曜は音楽、体育、芸術)。

セブの小学校は早朝にスタートする。太郎が通う小学校の場合、駐車場を共用する幼稚園と混雑が重ならないように、幼稚園より早く朝7時半に授業が始まる。終了は4時で、幼稚園の家庭教師終了と同じ時間だ。そのため、まだ2歳の花子も今年度からは次郎同様、午後クラスと家庭教師をつけることにし、3人の子を一度にお迎えできるようにした。2歳児に家庭教師をつけるなんて我ながらあきれるが、幼稚園から場所を移動することなく安全に4時まで過ごすにはしょうがない。ひと月約1万円(4200ペソ)だ。

一方、太郎は家庭教師をつけるのを諦めた。小学生の家庭教師は4時から始まるためだ。太郎には宿題が毎日少しずつ出るし、私にはさっぱり分からないフィリピン語もあるので困ったが、メイドさんが手伝ってくれることになった。

1年2か月後②[日本人補習授業校]

太郎は、小学生以上を対象に毎週土曜日に開校されるセブ日本人補習授業校にも入学した。ビルの広い一室を区切って作られたブースの中で学年ごとに分かれて座り、日本の小学校と同じ国語と算数の教科書を使って、日本人の先生から学ぶ。日本の勉強に遅れないよう漢字の宿題が多く出るので、太郎は自宅で書き取りをするようになった。

今年の小学一年生は約10人。セブに来てから初めて日本人のクラスメイトができて、太郎は喜んだ。セブで生まれ育ったお子さんも多く、日本語は苦手な子もいる。英語力必須のセブにおいて、太郎の日本語力を評価してもらえる場所があるのは有り難かった。

図書スペースに子ども向けの日本語の本がたくさんあり、いくらでも借りられるのも嬉しかった。「ハリーポッター」のぶ厚い本を見つけた太郎は、読み仮名がふられていない漢字の読み方や意味を私に聞きながら、数週間かけて読み終えていた。

1年5か月後[太郎が成績優秀で表彰?!]

英語で学ぶ小学校に入ったので、太郎には「学校の勉強は分かる?先生が言っていることは分かる?」とつい何度も聞いてしまう。太郎の答えはいつも「大丈夫」だが、私には信じられなかった。

彼の言っていることが本当か証明される日はすぐに来た。7月に入り、一学期の中間テストが行われたのだ。

テスト期間は3日間で、一日2科目ずつ受験し午前中で帰宅する。雰囲気もスケジュールもいつもと異なる校内には、日本の中学や高校のテスト期間さながらの緊張感が漂っていた。

太郎のテスト結果は全て良かった。英語はマイナス0.5点だけだ。冠詞の「a」を使った文を書く問題で、太郎は「犬が吠えている」と英文で書いていたが、最初の「a」を大文字にするのを忘れて減点されていた。私は太郎が「吠える」という意味のbarkingを知っていたことや、その他の問題に全て完璧に答えられていたことに驚いた。

続いて9月1日から期末テストが行われ、その結果も全教科で良かった。英語は満点だ。あれ?もしかして太郎は英語で勉強がよくできているのでは?「すごいね!」と褒めた数日後、太郎が賞状を持って帰ってきた。一学期の主要6教科全てで9割以上の得点(ストレートA)をとったので、全校生徒の前で表彰されたという。ウ、ウ、ウソでしょう?!小学校に成績優秀者を表彰する仕組みがあることも、太郎がそれに選ばれたこともびっくりだ。

海外で生活する子どもの経験談をいくつか読み知っていたが、コミュニケーションより先に勉強が周囲に追いつく子の例はなかった。小学生くらいまでの子が移住した場合、まずは友達とのおしゃべりやじゃれあいに不自由が無くなり、その後、読み書きで少しずつ周囲に追いつくイメージだ。そしてそれは、私にも納得のいく内容だった。だって、日常会話は言葉のパターンが限られているし、動作を伴うことが多いので、理解や模倣が容易だ。一方、教科書に書かれていることは未知の内容であり、それを外国語で読み取り、理解する必要がある。文法や語彙のレベルは日常会話より数段高い。ではなぜ、太郎は友達作りより先に、勉強のハードルをクリアできたのだろう。

思い当たるのは、我が家の場合、アメリカやイギリスなど英語ネイティブスピーカーの国に移住したわけではない点だ。「教科書に出てくる単語の意味が分からないでしょう?」と太郎に聞くと、「難しい単語は、先生が授業の中で丁寧に説明してくれるから大丈夫」と答える。そう、英語ネイティブスピーカーの親に育てられている子は三分の一もいない。また、セブは書店を見ても、本が充実しているとは言えない。そのため太郎以外の子も、教科を理解するレベルの言語力は、それほど高くないのだろう。アメリカやイギリスの子なら知っているはずの形容詞や言い回しを、セブの子は知らない可能性が高く、それを踏まえ、セブでは先生が英単語を丁寧に説明しているようだ。

クラス担任と保護者の二者懇談で、担任は太郎の受賞を褒め、次のように評価した。「太郎はいつも授業に集中し、よく聞いている。ペーパーテストを見ても、理解できていることがわかる。課題は自分の意見を口にしない点だが、精神的に落ち着いていて前向きに取り組んでいるから、いずれ克服するだろう」。ちなみに、一年生で表彰された子はクラス17人中、9人いたという。

二つの言語の発達にギャップがあるバイリンガルの子は、知的レベルは強いほうの言語と一致する。そして、その強い言語で弱いほうを分析し、積極的に強化していく。太郎の場合、日本語の読書量が非常に多いので、英語の拙さから周囲には理解され難いが、思考レベルは高めかもしれない。希望的観測を言えば、将来的には英語も相当習得できるのではないか。
 太郎が表彰されたことは、周囲をずいぶん驚かせた。幼稚園と小学校を統括する校長、各校の教頭、そして幼稚園時代を知る先生たち皆から、私は次々に「良かったねぇ」「聞きましたよ」と声をかけられ、「家ではどんな勉強をしているのか」と質問された。私が「太郎は日本語の本をいつも読んでいる」と答えると、たいてい怪訝な顔をされるが、母語を伸ばし続けることが重要なのだろう。

1年半後[太郎の変化]

表彰された頃から、太郎が友達に対して少しずつ積極的になっていることに気付いた。迎えに行くと「トム、バイバイ」「ジョージ、スィーユー(またね)」と相手の名前もつけて、自分からあいさつしているのだ!ある日は、迎えに行くと「お母さん、僕あともう一人見つけてくるから、ちょっと待ってて」と言って走り去った。かくれんぼ(ハイド&シーク)をクラスメイトの男女数人としているところだった。ルールを聞くと、日本のかくれんぼと少し違う。じゃんけんで「勝った人」が鬼になり、次は「最後に見つかった人」が鬼になる。

以前、走り回っている太郎のクラスメイトを見て、「あの子たちは何をしているの?」と私が聞いた時は、太郎は悲しそうに「分からない」と答えていた。とうとう太郎は、友達との間にあった「言葉と心の壁」を越えたのかもしれない!移住して1年半。思ったより長かったが、やっとこの日が来た。

1年半後②[次郎と花子の日本語]

太郎が持ち帰る算数や英語の宿題のなかには、当小学校が契約しているインターネットの学習サイトに、太郎の名前とパスワードを打ち込んで問題を解かせるものがある。そのため、太郎は帰宅後にパソコンを立ち上げて、課題に取り組む。しかしそのサイトには学習に絡めたゲームもあり、それが次郎には羨ましくてしょうがない。いつも横から手を出して太郎の邪魔をし、怒られている。

次郎は、送迎時に車で聞いている日本のアニメの音楽が大好きだ。そこで私は、太郎が勉強する時は別室にあるもう一台のパソコンを立ち上げ、次郎のために歌詞カードを作ってやることにした。ワードを開いて歌詞を打ちこみ、漢字にルビを振って印刷してやると、次郎は喜んだ。すると、太郎は学校のコンピューターの授業でワードソフトの使い方を習っているので、歌詞カードの作り方をすぐに覚え、根気よく次郎に教えてくれた。次郎は歌詞カード作りが大好きになり、カードを綴じたファイルを家でも車でも見ながら歌っている。次郎が太郎に比べて本を読まないのを私は心配していたが、このような形でも日本語に熱心に取り組むようになりホッとした。(挿入図)

一方、花子は毎晩、夫に日本語の絵本を繰り返し読んでもらっている。太郎と次郎はゲームが好きで、夕食後は私と三人で遊ぶことが多い分、花子は夫にべったりで、日本人補習授業校から花子用に借りてくる本を楽しんでいる。

1年10か月後[子どもたち三人の二年度目終了]

幼稚園と小学校の卒業生を式場で送り出し、我が子の二年度目は無事終了した。

一年生の太郎は、3つの学期全てでストレートAをとった。そして後半は、クラスメイトと遊ぶのが楽しくてしょうがない日々を過ごした。放課後に迎えに行くと、いつも汗をかきながら小さなグラウンドでみんなと走り回っている。また、ちょっと前までは、英語を話すところを親には見られたくない感じだったのに、少しずつ気にしなくなっているようで、クラスメイトに英語で話しかける姿を見かけるようになった。

ただ、学校の先生宛にちょっとした伝言を頼むと「英語でどう言えばいいか分からない」と答え、伝え方を教えて励ますと「僕、分からないよ」と泣き出してしまうこともある。これは英語というより、性格的なものかもしれないが…。

五歳で年中組の次郎も、太郎同様、英語より日本語のほうがずっと上手だ。ひらがなだけの本や、漢字があってもルビがついている本なら、厚くても一人で読み通すようになった。家では、次郎のおしゃべりに英語が含まれることは無い。

でも、日本語で学んでいないことを英語で習ってくるので、その報告には英単語が混ざる。「いまね、ウォールド(世界)のカンチネント(大陸)を勉強しているんだよ。アンタークティカ(南極)とか。そこに住んでいる動物はねぇ…」となる。私の知らない単語も多く、でも本人はスペルを習ってくるわけではないので辞書をひくのも難しく、理解するのはひと苦労だ。

三歳で年少未満組の花子も、家庭の日常会話は日本語だ。ただ、太郎や次郎と比べると、基本的な名詞の認識も英語のほうが強くなってきている。「わたし、ヤローがいい」と言った時は、「野郎(?)」とびっくりしたが、黄色のことだった。「イエロー」とカタカナで習っていない花子のアクセントは良すぎて、日本語に交ざると意味不明となる。「はい、黄色ね、黄色がいいのね」とあえて日本語表現を強調しながら私は応じるが、セブにいてはそんな努力も水の泡と感じる。

まぁそれでも、明日からは幼稚園も小学校も長い夏休み。今夜の飛行機でセブを発ち、また札幌の実家に居候する。そして子ども三人はそれぞれ、地元の小学校と幼稚園に通うのだ。こんな過ごし方は、両親(子どもにとっては祖父母)が元気な間だけ、そして私たち夫婦の貯金が続くか稼げるかの間だけという危うさだが、可能な限り続けていきたい。